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『居合道真諦』その2
こんにちは。引き続き、河野百錬先生著『居合道真諦』の紹介です。
三、打ち下ろしの事
打ち下ろしの時、刀を諸手に振冠って打下ろす時、更にモ一度両手を上にあげて刀と上体とに拍子をつけて必要以上に前方に刀を打ちかけて引斬る様な動作ををして斬下す人をよく見受けるが之は手と刀の運動範囲を認識せぬ者の間違った仕方で、相当高段者位の人にも之を見受ける事は全く嘆かわしい事である。
斬下しは、手元をやわらかに刀を正しく頭上に振冠り(剣先を下げ、後頭上に鍔が軽く接触する程に)諸手を其の位置から上に上げる事無く其のまま前方に両腕を自然に延ばして斬下せば良いので、徒らに両腕を前に不自然に突き出して刀を打ち掛ける様な仕方は絶対に禁物である。
- 打下すとき上体を揺って拍子をつけるのは最も不可。刀を振り冠った体の構へが打下すとき微動もせぬ事が肝要である。
四、右手のかかり口の事
- 抜刀のとき右手の掛り口が大きく且つ速度の遅い人を見受けるが、之は「右手で柄を撫でるように」との言に捉われた仕方で之も誤りである。
- 右手も柄への掛り口は「相手にケブリを見せぬように」との先賢の教えの様に、右手の掛り口は必ず大きくせぬようイツ掛ったかワカラヌ様にかける事が肝要である。
五、納刀の事
- 納刀を早く見事にやろうとして不自然に無理をして納刀する人を見受けるが、之は居合の邪道とも云うべきである。
- 納刀は既に目的を達した後の動作で、見事に早く行ふ必要は更に無いので、極めて自然に行えばそれで十分である。
納刀で最も大切な事は、形ちで無く残心のところで、納刀中と雖も何時でもその儘ま直ちに抜打ち(不意に起こる敵に応ずる心)し得る体勢(柄前の手の裡)と心構へが最も肝要な所である。
納刀の時、柄を上から押へて鐺よりも柄を低く下げたり、柄手を柄から遊離させたりする人があるが之は居合の真意を解せぬ甚敷いもので最も不可な仕方である。
角帯をして帯刀した刀の角度で納刀するのが正道で、角帯をして柄を鐺より下げる事は事実上不可能な事は明白である。
前回も書きましたが、昔も今と同じ間違いをしている人達が多くいらっしゃったようです。
師匠はもちろん、先輩や同輩誰でも客観的に正しい動きを指摘し合えるような稽古環境が必要なんですね。
こんな事を云われた事を覚えています。映画館で映画の上映前にライトがゆっくりと暗くなって来ますが、この時は誰もパニクリません。しかし、急にパッとライトが消えて暗くなったら多勢の人がパニクるに違いありません。
右手のかかり口、何時掛ったか解らぬようにの教えは、そう云う喩えで、腑に落ちたのでした。だからと云って、筆者が出来るようになった訳ではありません。頭で解る事と体がその様に動ける事とは違うのです。日々修行・稽古です。
次回をお楽しみに。
2013/06/26 国際連盟ブログより再掲
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