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『居合道真諦』その4
こんにちは。引き続き、河野百錬先生著『居合道真諦』のご紹介を続けます。
九、鞘手の事
- 抜付けた時、鞘を(栗形の所)左手(鞘手)を開いて押へて居る人を見受けるが、之も誤りである。
鞘手は、目標に向って抜刀した刀刃の方向に左手で鞘を傾けて握った手の儘まであるのが自然であり正しい方法である。
即ち鞘は正座初本の抜付けでは、刀刃の発動方向である横一文字であり、下から相手の脇坪に抜付ける様な場合は鞘は真下にカヤシ百三十度回転した儘ま左手で鯉口を握つて居るべきである。
私達の習ひ始めの頃は、抜刀の時、左手は栗形を押へた時代もあったが、之は握つた鞘手を更に放して押へると云う二段になつて、錬熟者は別として、とても初心者には出来難い事であり、又た刀法の理合ひから云つても、単に押へるよりも鯉口を握つた其の儘ま(左手も肘も後に引く心持で)の一気で行ふ方がはるかに気の充実が十分である。
私は此の事に就いて幾多の疑問を生じ入門から十五ヶ年間あらゆる角度からの研究に依り此の結論に到達したが、当流刀法の重大な問題として之を昭和十五年夏、恩師正統十九代宗家 福井春政先生に諮り熟議の結果「然り」との快諾を得、以来当流は此の仕方に依る事を定めた。
十、抜きかけの柄の事
刀を抜きかける時、右手で柄を押へて下にさげて抜きかける人を見受けるが、之は全く誤った抜きかたである。
柄は帯刀した状態から下にさげる事無く寧ろ柄をダキカカエル様な心持で抜きかけるのが正法である。
柄を押へて抜きかけては斬払う時に更に柄を上げて抜刀せねば、抜刀は不可能で、二段となる、之は全く無用の事である。◎不必要な事や、見栄や外見のための事は何事によらず絶対にセヌ事が正道である。
◎正式に角帯をして帯刀した場合ひ、柄を鐺よりも下にある様にさげる事は不可能である事は既に納刀の部で述べた通りである。
十一、半身の構への事
- 虎の一足、脛囲ひ、月影、介錯などの半身の構への場合ひ、後足を後に向け両膝を左右に割つて構へる人を多々見受けるが之は誤りである。
すべて居合でも剣道でも所謂「足至り、腰いたり、剣至る」で体の構へが運剣の元で大切なところである。
居合には如何なる業でも、後足の爪先が真横に向いたり、後向きになったりする様な踏みかたは絶対に無い、半身の構への場合は後足の爪先は真横(九十度)よりも内側(五十度)に踏み踵を軽く床につけるを正法とする。
正座の横一文字の抜刀を写した昔の写真を見ると、左手が血振いの時の様に、栗形を押えているものを良く見掛けます。 とても不思議な感じがした記憶があります。
筆者にはその昔の理合を知る術が無いので何とももどかしいですが、確かに昔はそう抜いていたのです。
半身の構えも、例えば八重垣の脛囲い等で、両膝を割る演武を拝見したこともあります。
河野先生は、いろいろとされていた体運用や刀法を一つに纏め上げて行かれた方なのでしょう。
ああもやってる、こうもやってるでは「流」になりません。
一本、筋の通った基本は非常に大切ですし、修行者の道しるべに絶対に必要な事柄です。
2013/7/8 国際連盟ブログより再掲
World MJER Iaido Federation
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