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74年前の著書ー2
これから2回に分けてご紹介してまいります。
第七節 居合の質疑解説
本項は、昭和三年、故穂岐山先生より、筆者が書面を以てしたる質問に対し、賜りたる 御書簡にして当流の居合を学ばんとする者のため、又得難たき文献と信じ原文の儘茲に掲ぐ。
其一、 正座抜付けのばあい右拳の高さに就きて右拳の高さは、左右の肩の高さと同様に候。
其二、 正座抜付けの場合の右拳の位置に就きて
- 右拳の位置は、左右の肩を結ぶ線上より拳の位置に於て、約六、七寸位ひ前方に出づるを可と致し候、拳を其の線上に置く時は、所謂引き斬りの気味と相成り面白からず、拳を少し前方に出し、従て腕と刀との角度は九十度よりも約三十度位ひ鈍角に広く開きて、拳を握り締めると同時に少し刀を前に出す心持肝要に御座候、此時の心持は抜付けに限らず、真向其他の斬り付けと同一に御座候、即ち剣道に於て面に打込みたる時、手を握りしめると共に前に出す気持と同様に御座候。
其三、 刀尖は拳の高さと同じ水平線上にあるや
- 貴殿の通りなるも幾分下がるも宜敷候、是は刀は水平なるを原則とするも、前方より見たる時、刀の上を見せず下側を見せる様に致し候。
*ブログ筆者;刀の下を見せず、上側を・・・の誤植ではないでしょうか。
其四、 腕と刀の角度に就きて
- 第二項に説明の通り約三十度位ひ広角度となすを可と致し候、是又然らざる時は引切りの気味合となり、且つ又充分刀尖に気勢籠らざるものに御座候。
其五、 正座納刀の場合の右拳に就きて
- 此場合初心の者に説明するには、血振の時の拳の儘ま、手首と(少しく)腕を曲げ刀身を鯉口にあてゝ納むる如くすれ共も、実際に於ては、練習を積むに従ひ是にて何となく業の堅くして、やはらか味無き感を来し候、此の意味に於て血振の位より起動のため、心持ち拳を右にかやし直ちに復舊して刀刃を上方に向けつゝ鯉口の位置に運ぶものに候。
然れども是は極く瞬間的のものにして、他より見て拳を右に返えす動作の明かに認め得る如く、大きくゆっくりと動作するには無之、只起動のため、つまり動作を速かにするために候。
されど原則としては拳は返えす事無く、血振の位置より其儘鯉口に運ぶものなる事を忘れざる事肝要に御座候。(正座、立膝、奥共も同様)
今回はここまでのご紹介です。この後、「其十」まで続きます。
昭和3年と云うと実に85年前です。この書簡を読むと今我々が稽古している事がかなり正確に伝承されているのが解ります。
穂岐山先生は正統正流を大江正路(まさじ)先生から引き継いだ方です。
取りも直さず穂岐山先生がおっしゃっている事は、大江先生から引き継いだ事に他ならず、我々は自信を持って稽古に邁進する事が出来る訳です。
そして、我々も正統正流の業の伝承者たるべく襟を正して行かなければなりません。
次回をお楽しみに。
2013.08.06 国際連盟ブログより再掲
World MJER Iaido Federation
© 正統正流無雙直傳英信流居合道国際連盟